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庖丁屋で生まれ、 庖丁屋で育った私は、 大阪・天神橋でオギャーと生まれた時から、 枕元には庖丁がありました。
鋼鉄をたたく音、 耳そばで大きな丸砥石が回る動力音を聞きながら50余年。 紆余曲折の人生でした。

私にとって
《幾日もかけて作る庖丁》 を息子と考えています。
手塩にかけて育てた、 実に私の分身です。
それらの一本一本がお客さんの元へ行くのですから、この息子達が私のメッセージです。

尚台刃物厨房器機(株)
代表取締役 尚台泰介

この孝行息子(庖丁)達はお客さまに、 とてつもない感動と満足を与えますことを、一人一人の息子(庖丁)達と共に、 私の誇りと首をかけて申しましょう。
そのため、 時間を惜しみなくかけて、 私はこの息子(庖丁)達に英才教育を施します。
お客さまにお届けする頃に、 力強く育った私の息子(庖丁)達に
『骨などに負けるな!』
『欠ける事なかれ!』
『強靭になり、切れ止まぬよう頑張れ!』

常にそう言い聞かせています。

必ずお客さまから、 お礼と感激の電話----
最近は、 お客様から電話したくなるくらいの、 感動を与えますことが、 私の生甲斐になってきました。
「お客さまから『感動した』の電話をすると言うのは余程のこと」と、
これは私の自慢です。----- (社長のひとりごと)参照----

吉兆をはじめ、 つる家・なだ万・金田中・福田家・菊乃井・青柳・ろくさん亭・和久傳 等々、
各店、 各位様が永く永く、 くまなく当社製を使うのは、私のこの息子(庖丁)達ヘの英才教育、 すなわち商品管理のたまものです。
《料理は戦い、庖丁作りも戦い》です。

名店と呼ばれる料亭・料理店様は必ず、 ほぼ100%に近い割合で、
本焼をお買上げになります。
必ずお客さまの期待に添うよう、 幾度も教えて、 鍛えて、 送りだしていくのは, 本焼も霞打も同じです。
本焼には本焼の、 霞打には霞打の、 良さと特徴を出し切り、ただ、 やみくもに硬度のみを追求するのではなく、鋼材の持つ独特のしなり・柔軟性をも加味し、
《研ぎ易く》 《バランスよく》 そして 《美しく》 仕上げるのです。

当社は広告に力は入れておりませんが、 この息子達が物言わぬ宣伝です。
私で四代目になりますが、 もはや総販売数・顧客数・庖丁の完成度・出来映えは、完全に先代を越え、
《尚台創設以来160年》 となる今は、 自分にとっても最高、 最大円熟期と考えております。
息子(庖丁)達がお客様の許へ行き、 お客様の許でお役に立て
一生を全うすることが、 庖丁屋の社長の、 私の望みです。





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